夏が来て、まず思い出すのは母親の故郷の佐渡である。
中学ぐらいまでは、毎年夏の1か月を家族で佐渡の実家で過ごしていた。
さすがに仕事のある父親は、せいぜい1週間の滞在なのだが、
ほかの面々はたっぷり1か月である。
どこにいても、夏らしい雲を見ると、
新潟港から佐渡にわたるカーフェリーから見た空を思い出す。
甲板から見える空はとても大きく、青々と広がったところに、
白い、大胆な雲が広がる。
海面に目を凝らすと、運が良ければトビウオの飛ぶのが見える。
佐渡にわたるときは、いつもわくわくしながら、海と空、
そして、だんだん見えてくる島の姿を見ているのだ。
祖父母が待つ家に到着すると、大きな引き戸の玄関の向こうに蛍光灯のあかりがある。
蛍光灯のあかりが何とも懐かしく、そして同時にわけもなくものがなしい。
佐渡での生活は、同世代にはふつう経験できないような、時代ものだった。
朝は神棚二つと仏壇二つのおまいりから始まる。
神棚は、天照大神と大国主神をまつったメインのものと、火伏せの秋葉山。
仏壇は、祖父の家のものと祖母の家のもの。
仏壇にあげるごはんは専用の食器とそれを入れる木製の容器があって、
台所から仏間までのあいだの移動のために、
きちんとした所作で、器にごはんをよそい、木の入れものにいれてふたをし、
仏壇のところで、蓋をあけて器をとりだして、仏壇にそなえる。
風呂は五右衛門風呂、すのこを踏んで入る。
わかすのには、もちろん薪を炊く。
小学生のぼくは祖父に隣につきっきりで、この沸かし方を学んだ。
小学校の作文の時間に、その手順を文章にしたら先生がほめてくれて、
学校の全校文集に載せようという話になったが、
文章が長すぎて結局果たせず、
かわりに、消しゴムの悲しい一生を記した詩を載せることになった。
ちょっと不完全燃焼だった。
夜寝るときは蚊帳を吊る。
麻の蚊帳が涼しく、ナイロンのそれはかなり蒸すことを体をもって知り、
また、蚊帳に入るときの作法についても、大人たちにしかられながら習得した。
蚊帳に入ると、別の世界にいるように感じて、毎晩わくわくした。
問題は便所だ。
便所は、家のはじっこにある。
夜の仏間は異様に怖い。
日中でも、仏壇の観音さまやたくさんの位牌や先祖の写真に、
何ともいえない緊張感があるのだが、
夜はほんとに何ものかの気配があり、
便所に行くにはその仏間の近くを通らなければならず、かなり厳しい。
小学生の頃に佐渡の家でした寝小便の何割かは、
実は、便所に行くのが怖くて、起きてたのに布団の中でしてしまったものだ。
…
などなど、書き始めるとキリがない、夏の佐渡の思い出。
今では地域の生活スタイルもすっかり変わってしまい、
祖父母も境を異にし、
小さい頃経験したいろいろな習慣、楽しい思い出も、もう心の中にしかない。
でも、心の中にあるだけでも、何だかありがたいと思う今日この頃。
また、夏がやってきたことを喜びたい。